2015年の思い出その1
http://nagataka-world.seesaa.net/article/444165591.html2015年の思い出その2
http://nagataka-world.seesaa.net/article/444249933.html■8月■ー8月中旬ー 就活再開して一ヶ月後、自己応募した羽田空港の航空関連の会社の書類選考が通り、羽田空港まで3回通って(面接3回)ようやく念願の内定を獲得。(ちなみに自己応募した会社は15社近くで、年齢と事務未経験のせいなのか、どれも選考落ち。泣)
やった、内定だー!!!
なぜ航空会社に応募したかというと、ウチは旅行が趣味で仕事後にすぐ飛行機に乗ってどこかへ行けるのも悪くないし、社員のみ待遇の特別航空券(通常の6〜9割引き!!)がもらえるのと、何よりも“あの制度”があるのだ。
あの制度とは、ボランティア活動、留学、他社で就業したいなど理由があれば、1年の休職がもらえるという素晴らしい制度が航空会社にあるというのだ。「まじか??あの制度を使えば、ヒマラヤ山脈やエベレストへ行けるんじゃないか!!」と思い、速攻航空会社に応募したのだ。
面接の際、面接官から「登山プロジェクト、今後も続ける予定ですか?」と聞かれた。ウチは「ヒマラヤ山脈登頂はまだですが、世界四大陸登頂達成しましたので、とりあえずはプロジェクト活動終了いたしました。」と回答。もし、プロジェクト活動を続けます!!と回答したら・・・間違いなく落とされたのだろうか。(ちなみに面接形式は、面接官がブギーボードで質問、ウチはノートPCで回答という形。)
で、内定獲得したウチは毎日ランチでもしながら空へ旅立ってゆく飛行機たちを眺めてみるのも悪くないなと妄想していたウチだが、、、、
「あなたの年収は〇〇0万円になります」
月収は〇〇万円で賞与は4ヵ月。
はい?! なにこれ、めっちゃ安過ぎないか?? 空港で働いてみたいという憧れがあったけど、給料が安いのはちょっと・・・。汗
人事担当者に給料交渉へ持ちかけてみるが、決定された給与金額を変えることは出来ないということで交渉決裂し、内定辞退することになった。
実に惜し過ぎる、待遇面が素晴らし過ぎるのに、給与が安いとは・・・。やむを得ん。
これで3社目の内定辞退。。。(1社は内定取り消し)不景気の中でよくぞ会社に振る勇気があるなぁ、ウチは。。。苦笑
ー8月下旬ー Bエージェント経由で応募した書類選考が通り、愛知県のブレーキ関係のア会社と一次面接。愛知県までの交通費はア会社が全額支給してくれて大変有り難かった。
コミュニケーション方法は、面接官からホワイトボードで質問し、ウチは紙と油性ペンで回答という形式で面接スタート。
ただ、面接官3人からの質問に回答する度に必ず「なぜ??」とさらに深く掘り下げた怒涛の質問シャワーを浴びまくられてしまった。それでも必死に回答反撃し続け、予定の40分より延び、なんと1時間15分超の長時間をかけてようやく面接終了。。。
帰りの際、名古屋駅内で名古屋名物の名古屋コーチンラーメンを堪能して面接の疲れを癒したのであった。
続けて、Aエージェント経由で応募したG本社の書類選考が通り、関東で一次面接を受けることになった。
で、G本社ってどんな会社なのかを知らずに適当に応募してしまった為、後で転職口コミを調べてみたらG本社はスーパーブラック企業であることに発覚し、激しく後悔してしまったウチ。
G本社に入社した社員は平均2〜3年で退職、長くて4年が限界なんだとか。G本社の経営理念は「短納期」独自ビジネスが売りとなっているため、納期確保の関係で部署によっては月残業100時間超え、土日出勤はよくあるそうで、特に女性社員はG本社に入るなら会社に人生を捧げる覚悟で働くべき、結婚は諦めた方がいいと元社員からのアドバイスが。。。入社して数人が過労死した社員がちらほら。それってメチャヤバくね??(-_-;)
とりあえず、落ちてもいいやという気持ちでG本社と一次面接を受けたのだが、
なぜか面接官から「海外登山プロジェクト活動していたのが実に素晴らし過ぎる!!」と高評価を得てしまい、1日も経たないうちに「おめでとうございます、一次面接合格しました!!」と嬉しくない知らせが・・・。(面接形式は会社が用意したノートPCとプロジェクター)
想定外だったのが、あれよあれよという間に部門面接、人事副部長と面接が進み、気が付けばスーパーブラック企業のG本社から内定をいただいてしまった。汗
しかも、最終面接を終えてたったの1日しか経っていないうちに内定通知の連絡が・・・。(^_^;) 異常すぎる選考過程の早さは100%スーパーブラック企業決定ですな。苦笑 おっかしいなぁ、受ける気がないウチは人事副部長に「G本社は第二志望です!!」とストレートに言ったのになぁ・・・。
結局、Aエージェント担当者にお願いしてG本社への受諾返事期限を3週間延ばしてもらった。
■9月■ー9月上旬??−
関東近郊の低山でランニング。


久し振りだな、こんな景色を見るのは。うん、いい息抜きになったなー。

やべ、距離500q以上走ってるとこんなにすり減るのか・・・。このまま走ってたら膝がヤバいので、そろそろ買い替えようかな・・。(^_^;)
ー9月上旬〜中旬ー 年収400万円〜500万円高収入を売りにしている転職Cエージェント会社経由で応募した外資系IT企業、S会社(本社は米国)、何と書類選考が通り、東京の六本木ヒルズ11階でS会社と面接することになった。(ちなみに応募した他の2社は落選。)
外資系企業のS会社は、企業の経営課題解決を支援するソフトウエアが売りで、全世界で約75000サイトでS会社が採用されているというトップレベルの大手企業で、世界各地で「働きがいのある会社」上位にランキングされているそうだ。
待遇面をみると、年間休日128日、中身はバリバリの日本企業文化で社員に優しい?会社のようで、特にバックオフィスの社員にとっては休みが取りやすいそうだ。(1年に数回2週間休暇は普通らしい)転職口コミによると、個人でS会社と交渉(仕事以外)が可能らしい。しかも、一度S会社を辞めてしばらくした後に戻った社員が数人いるとか。
ということは、、、、、、
S会社と交渉がうまくいけば、休職を取ってヒマラヤへ行ける可能性が高いんじゃね???
S会社はヒマラヤ登頂実現性が高い(あくまでも可能性の話)とみて、第一志望はS会社に決定。
というか、S会社はあの六本木ヒルズ内にあるなんで初耳ですけど・・・。しかも人生初めて入るんだけど、、、大金持ちのヒルズ族がいる六本木ヒルズ内に。(^_^;)
案の定、面接官から登山プロジェクト活動についての詳細を聞かれた。で、将来の夢は?と聞かれ、ウチは「将来の夢って、仕事の話ですか?」と聞き返すと面接官は「ああ、仕事でもプライベートでもどっちでもいいよ。」と返ってきたので、ウチは正直に答えることにした。
「将来の夢は・・・・仕事面は…..必要される人材として成長させていきたいです。で、プライベート面は、、、、
ヒマラヤ山脈やエベレスト登頂が目標です。」
あー余計なことを言っちまったよ、ウチのバカ野郎。。。(-_-;)
それを聞いた面接官は表情が一気に変わり、ウチにこう尋ねた。
「ヒマラヤ山脈やエベレスト登頂を目指してるのかね?実行するとしたらいつなのかね?」
「えーと、5〜8年後を目標にしたいです。」とバカ正直に答えてしまうウチ。
終わった、もう落ちたーと思ったら、な、なんと一次面接通過し、二次面接へ進出(二次が最終面接らしい)。
業務内容は総務事務で、半分がオフィスメンテナンスなんだとか。うん、悪くない。
ー9月28日(月)ー 愛知県ア会社の最終面接。埼玉県熊谷から愛知県刈谷までの新幹線は会社全額支給。エージェントの話によると、ア会社は総合職として年収500万円以上の雇用を検討しているんだと。
ということは・・・・・
激熱内定リーチじゃね?!と期待に胸を膨らませていざ、愛知県へ。
面接官3人、中高年の役員と手話通訳者同席。これぞ、まさにラスボス最終決戦にふさわしい舞台だ。
特に手話通訳者、ウチから手話での回答だと、業界用語や専門用語の関係でウチの言いたい言葉の100%全部手話通訳者経由で面接官へ伝えるというのがなかなかできないので、面接官からの質問内容次第、ウチは紙で書き、手話通訳者が読み上げて回答するという形で進めることにした。その方が、ウチの言葉そのまま面接官に伝えられるし。
そして1時間かけて役員3人からウチの前職に関する怒涛の質問攻撃を受けるが、負けずに質問攻撃に耐えて最後まで回答しきった。
ただ気になったのは、今回が最終面接だというのに、業務内容の説明がなかったり、登山プロジェクトに関する質問を受けることはなかったの事。少し嫌な予感がした。
ー9月30日ー 10kmランニングを始めて4ヵ月経過、合計530km突破。体重は4kg減量。
5月下旬 69.6kg → 9月上旬 65.7kg
ランニング距離は1ヵ月平均90km(雨が多い時期)〜150km(週4〜5日ラン)。タイムは平均1時間。全力ではないが、ベストタイムは56分。
■10月■ー10月1日(木)ー な、なんと・・・・!!!
最終面接を受けてしまえば高確率で内定だと思ったら・・・・
愛知県ア会社、まさかの不採用・・・!!! 不採用の理由は、ウチのCAD経験、ア会社のブレーキ事業は動力の関係で車体部とかなり違うため、ア会社に活かして頂くスキルには及ばなかったのこと。
だったら、最初から書類選考時点でウチを落としてくれよ、最終面接まで進んだというのだから、妙に期待してしまったじゃないか・・・。泣
これで愛知県で年収500万円稼ぐ夢が消えました、はい。残るのは外資系企業のS会社のみ。。。
あと、近所の神社に行ってお祈りをしてきました。「たのむ、内定が出ますように!!」と。
ー10月8日ー Cエージェント会社の担当者から連絡が来て、S会社の結果は・・・
「不採用でした」
ちーん。
人事採用担当はかなり迷っていたらしく、結局は事務経験のある候補者の方を選んだという。
やっぱ事務経験が無いと競争に負けるんだなぁ・・・無念。
その後はAエージェントの担当者に「内定保留していたG本社への返事ですが、受諾します。」と伝えた。
内定次第で愛知行きか?六本木ヒルズ行きか?第3人生ステージへのウチの運命が決まる中で、第一志望で高確率で内定とれると思っていた優勝候補?の2社が、、、
まさかの共倒れし、
第二志望の伏兵が1着ゴールして逆転優勝となり、想定外の波乱で就活の決着がつきました、はい。(※競馬のイメージです)
( ゚д゚)ポカーン(放心状態のウチ)
今までの山旅と就活を通して、
”旅も山も人生も、一筋縄ではいかないものなんだなぁ” と改めて実感した2年3ヶ月でした。(;´Д`A
ー就活成績ー
就活期間:9ヵ月
応募した会社:30社以上
神奈川県・・・内定取り消し(技術職)
大阪・・・・・内定辞退(総合職)
羽田空港・・・内定辞退(事務職)
関東・・・・・内定(技術職)
愛知県・・・・最終面接で落選(開発系総合職)
六本木ヒルズ・・最終面接で落選(事務職)
―転職支援サイトを利用した感想―
・書類選考、エージェント経由で応募した方が、書類選考が通る確率がグーンと高まるのは確かのようだ。
・面接で自分の思うような面接ができなった時は、エージェントにお願いして応募先の会社に「彼はかなり出来る人ですよ!!雇って損はないですよ!」みたいな営業トークでウチの良さを強くアピールしてくれるようだ。(面接でヘマしてしまった事が2回あったが、エージェントのフォローのおかげで最終面接まで進んだ)
・ネットで求人探しても見つからない非公開求人情報が沢山出ていて驚いた。例えば待遇面で10日連続休暇が取れる会社を探したいとエージェントに言えば、すんなりと求人票を用意してくれる。
・大手の転職支援サイトの場合、仕事探しに付き合ってくれる期間、長くて3ヶ月まで。ウチが利用した障がい者専門の転職支援サイトの場合、内定が取れるまで最後まで面倒をみてくれるようだ。
・エージェントがいれば面接日程調整、給与の交渉が出来て心強い。自己応募だと、給与の交渉がやりにくい。
・自分のスキルの強みを自己分析できない場合、エージェントと相談してアドバイスをもらうことができる。履歴書・職務経歴書も修正してくれる。
―世界一周を経験したウチに対して企業の反応― 過去に世界一周した経験者が就活で面接官にいくらアピールしても、「だから、何?」と冷たい反応だったというのが多く、「世界一周=ただの遊び」でしか評価されないというのが日本社会の現状だという。
そこで、ウチは履歴書に世界一周を伏せて応募、世界一周を載せて応募といった風に二つ分けて数社応募してみた。
―結果―
・世界一周を伏せて応募した・・・全滅。
・世界一周を載せて応募した・・・30、40%の確率で書類選考が通った。
面接を受けてわかった事は、ただ「世界一周しました。」だけじゃダメだと思う。
どういった目的で世界一周をしたのか?世界一周を通して得たこと、学んだことは何か?
その経験を会社にどのように活かすのか?世界一周を経験する事で自分しかできない強みは何か?など、具体的に提示してアピールすれば、ちゃんと評価してくれるそうです。
どちらかといえば、世界一周よりもプロジェクト活動(スポンサー営業、宣伝、戦略、達成率など)の方が評価されやすいみたいです。
こうして11月2日付けでG本社に入社することになったのでありました。。
ー10月20日ー21日ー

久し振りに実家に帰省。キティ、なんか老けた??(^_^;)

ウチの好きな千歳川。



水車で鮭を獲っている様子。こういう光景、何年振りだろう・・・。小さい頃しか見てなかったから、20数年振りかなぁ? とにかく久し振りに見れてよかった。

おっ?


サケふるさと館、リニューアルしたみたいですな。中に入ってみるか。


中に入ったの10数年振りだが、確かに少し変わってるねー。

そして千歳川水中観察ゾーンへ。

わおーー!やっと見れたよ、久し振りに本物の鮭を・・・。泣

今までは時期の関係で小学生以来、なかなか鮭を見る機会がなかったので、やっと見れてよかった・・・!!

1日10qランを月100q以上のペースで半年くらい継続してきたので、今回は千歳ー札幌まで50qランにチャレンジしてみる。





懐かしい!!恵庭にある堀川会社の建物、小さい頃からずっと見てました、はい。

が・・・
テニス用の靴で走ったからなのか、足指がめちゃくちゃ痛過ぎるあまりで、これ以上の走行は困難だと判断し、やむを得ず断念しました・・・。泣
ちなみに距離は千歳ー島松?、16q地点で棄権。 帰りはバスで帰りました、はい。。。

実家から徒歩5分で近いとこに最近オープンしたばかりのラーメン屋、えびらーめんが美味い!えび好きの人にとってはおススメできる店かも。
■11月■ー11月2日ー2年5ヶ月ぶりに社会人復帰。
入社式、ドラゴンっていう音声文字変換翻訳ソフトで通訳してくれているが、誤字が多くて人事担当がやむを得ずPC通訳してもらいました。(^_^;)



幼なじみの2人。うん、相変わらず元気そうで何よりだ。

久し振りに見たスカイツリー。

(神奈川県横須賀)
日本に帰国して3月以来ずいぶんご無沙汰だった、8ヶ月振りのプチ旅。

なんとなくカレーを食べてみたいなぁと思ってわざわざ神奈川県の横須賀&ペリー来航した浦賀へ。

正直言って、2年近くも世界を旅してきたせいなのか、なんか旅自体が飽きてしまってて....。
それで、しばらくの間は旅を控えてインドアへスイッチオンしてました。(^^;;

で、今回久しぶりにプチ旅で浦賀に訪れてみて、
ああー...なんだろ、
あの感触...なんだか懐かしい...。
自分が行ったことがない、踏み入れた事がない未知の世界に
ウチの冒険心を何回も掻き立ててくれたんだっけ、
世界一周の旅で...。

世界一周とまったく関係ない場所で、なぜか世界一周の旅を懐かしく思い出してしまったウチでありました。

(ペリー氏はメタボのようでした)
あ、どうでもいい話ですが、
日本歴史上、ペリー氏来航が日本の未来を大きく変えたのは事実で、
もしペリー氏が浦賀に来なかったら、日本の未来はどうなっていたのか?鎖国・江戸幕府の時代はどこまで続いていたのか?

日本の未来はどうなっていたんだろうと妄想していたウチでした、はい。。

あと、ペリー来航してきた場所が浦賀だというのを今頃知りました。苦笑(てっきり横浜かと...)


横須賀名物カレー。味はどこでもある一般カレーと変わりませんでした

カレーソフト。単にカレーパウダーが入っているだけで、味は微妙でした(^_^;)



関東で久々に友人たちと再会し、夜遅くまでくだらないトークとかでワイワイしました、はい。
■12月■
スカイマークの飛行機で3ヶ月振り&社会人復帰初の帰省、久し振りに地元の先輩後輩と再会。

元寄宿舎の先輩、1人(右)は20年振りに再会。もう1人(左)は十数年振り。やっと再会できてよかった。。。

先輩後輩と呑む前の一日前、帰省で北海道・千歳に着いてすぐ札幌へ直行し、同級生たちと恩師の先生と一緒に呑んだ。
同級生や先生は相変わらず元気そうで何よりだった。そんな中でショックを受けたのが、高校教師、A先生が去年に亡くなったのこと。
そのA先生は、理科の先生でそこまで親しい関係ではなかったが、卒業日に理科の教室でA先生からあるビデオをもってきて、「見てごらん」テレビに映りだされたのが、A先生が若い時にヒマラヤ山脈に遠征した映像だった。
当時のウチ(高校3年)は山に興味がなかったが、ヒマラヤ山脈頂上に立ち、日本国旗を揚げて笑顔で笑っているA先生の姿を見て、「すっげぇ・・・・。」と少し心が震えていたのを今でも覚えている。
あれから13年、
現在のウチは3年前(当時28歳)に山にハマり、国内や世界各地の山まで登った。
そして今回、北海道に帰省し、久し振りに再会した恩師の先生の顔を見て、A先生の事を思い出したウチは、
「A先生、元気していますか?もし逢えたら、山のことを語り合いたいです。」
とA先生の所在地を教えてほしくてお願いしたら・・・
「実は・・・・A先生、去年の3月に亡くなったんだ。」と。
予想外の言葉にショックを受けた。
「うそだろ・・・・?」
実を言うと、高校の時に見せてくれたヒマラヤ山脈遠征の映像、もしA先生がまだ生きていたら、ヒマラヤのどこの山に登ったのかを聞きたかった。
ヒマラヤ山脈遠征の中で辛かったことや頂上に立った時にどう感じたのか、A先生が見たヒマラヤの景色はどうだった?などの感想も聞きたかった。
「山って本当に面白いね!!」とA先生と一緒に酒でも呑みながら山を語りたかった。
ウチが旅してきた世界各地の山の体験談をA先生に話してみたかった。
なのに、
やっと山にハマってきた頃に
A先生はもうすでにこの世にいないなんで・・・。
本当に悲し過ぎる。
恩師の先生にA先生について何か知っているのかを尋ねると、
「A先生、大学時代は山岳部に所属していて、正真正銘のクライマーだったよ。」
まじか・・・。もっと早めに山にハマっていれば、A先生と再会できてたくさん山を語れたんじゃないかな・・・と激しく後悔した自分がいた。
だからといって、いくら後悔しても、A先生はもう二度とこの世に戻ってくることはない。
だったら、
A先生にヒマラヤ山頂でどう感じたかを聞けないかわりに
今度は自分自身で
ヒマラヤ山脈に登り、
自ら頂上に立ってみて、どう感じたかを自ら知ることで、「A先生もこんな感じで笑顔で笑っていたんだね。」とA先生の気持ちを理解できたらいいなと思った自分でありました、はい。
あと、
自分も、皆も、いつ死ぬかわからない。
だから、今生きているうちに親と友人の付き合いと新しい人の出逢いを大事にしていきたいなと改めて認識された年末年始の出来事でありました・・・。

どうでもいい話だが、同級生たちと呑んだ後の帰り、なぜか帰りと逆の行き先の列車に乗ってしまい、気が付けば着いたのがウチの母校近くの銭函駅だった・・・。

母校に戻ってこいの暗示なのだろうか?(^_^;)

30代過ぎても相変わらずですな、同級生2人は。

札幌のテレビ局。うん、デカくて綺麗なイルミネーションですなー。
■■2015年を終えてみて■■今まで31年間生きてきた中で、2015年が一番苦しかった一年だった。
山旅世界一周の為に会社を辞めた時は、「10年働いてきたウチが人生初めて”自由”になったんだ。」と歓喜し、2年間、自分の好きなことばっかりやってきた。
世界一周を終えて(強制終了)帰国した後に気付く、2年間ずーっと逃げ回ってきたウチが舞い戻ってきた”現実の世界”に
「あ・・・ウチ、無職やったな・・・。」と。
1月に就活を始めたのも、正直言って「自分の未来はどうなるんだろ?前の会社にやめなきゃよかったと後悔しないのだろうか?給料は前職より安くなって苦しい思いをする事になっちゃうのかな?」と先が見えない未来に不安だらけの日々の生活を送っていた。
金がないと単なる貧乏になるだけではなく、心まで貧しくなるというのは本当らしく、
なぜか「誰も逢いたくない」と自ら引き籠るようになってしまった。
就活スタートしてから入社するまでの半年以上は一回も人と逢う事は無かった。
就活の方で「夢を実現したいです」と自分の想いを正直にぶつけようと応募先の数十社に伝え続けるのも、結局は不採用通知の連絡が来るばかりで、
「夢の続きを見るのをやめようかな。給料安くてもいいから、早く仕事を見つけて楽になりたい・・・」と
まじで
まじで
挫折しそうになった。
本当に先が見えない未来に不安だらけのウチが不採用通知の山が来たらさすがに心が折れそうになった・・。(^_^;)
清掃員になってもいいから、早く仕事を見つけよう、まじで夢を諦めようと真剣に考えていた時に、
転職エージェント会社の担当者から言われた言葉があって、
「あなたは山旅世界一周プロジェクト活動したことを堂々とアピールするべきですよ。ネットでも貴方の名前が出てますし、隠すよりはましかと。夢も堂々と語るべきです。」
どこかで はっと目が覚めた。
そうだった、前も夢を実現する為に覚悟を決めて10年勤めた前の会社を辞めたんだ。
今は夢の途中に終わってしまっただけで、夢の続きはまだ終わっていない。
なのに、ウチは楽になりたいという理由で人生を投げ出そうとしていたとは・・・。
仮に人生を投げ出してしまったとしても、実際に山旅世界一周したという過去は消えないし、
さらに過去を隠し通そうとしてもいつかは会社にバレるのも時間の問題だし、
仮に仕事を見つけて働けたとしても、心はスッキリせずモヤモヤ感が残ったまま一生苦しみ続けるだろう、
死ぬまで永久に。
そして
最期に「あの時は人生を投げ出さずに最後まで頑張ればよかった・・・」と無念の表情で生涯を閉じることになるだろう。
そう考えると、人生を放棄するのが怖くなってしまった。
そうだった、ずっと想い続けてきた念願の夢を実現した時は感動と幸福感が半端なかったが、世界一周を終えて帰国した後に襲ってくる
大きな”喪失感”がめちゃ半端なくて、心がポカリと穴が空いてしまい、
「これからはどうしたらいいんだろう。何のために生きているんだろう。」
といった無力感まで襲われてしまい、この苦しみを3ヶ月間続いてしまったことがあった。
そう考えると、やはり”夢無しでは生きていけないんだなぁ”と改めて痛感。
ウチはどうやら”夢”という呪縛から逃れられない運命になっているみたいだ。
残酷だが、こんな運命は世界一周の時から始まっていたのかもしれない。
結局、夢の続きを選んだウチは最後まで自分の想いを応募先の会社に伝え続けた事により、やっと内定をいただけることになった時にウチはこう思った。
「何事も諦めずに最後までやり通せば、必ずいい結果をもたらしてくれるってのは本当だったんだな」と初めて知った。
ホントにこの世はやってみないとわからないだらけの世界だ。
もし、夢を捨てて生活第一を優先に仕事を探せば、すぐは見つかるだろうけど、ウチは夢にこだわって9ヵ月も遠回りをしてまで仕事を見つけたのは、
”一番の近道は遠回りだった、遠回りこそがウチの最短の道だった”
自分が選んだ選択は間違っていなかったと信じたい、自分の未来のために。
さあ始めようか、夢の続きを。
※追伸、ウチが働いている会社、数年前に労働環境がすっかり改善されていてホワイト企業へ成長したそうで、スーパーブラック企業だったという話は昔の話のことでした。
どうやらウチは就活関係のネット情報に踊らされてしまったんだなぁと入社して知り、改めて痛感しました、はい。苦笑
2015年の思い出 おわり。